第3弾「自らの手で進むために」

林怜央(NSCC6 経理部長)

 

【紹介】

兵庫県 私立灘高校1年生。

齢16にして経理部長を務めるという関西の若きホープ。

いかにも「頭良さそう」感(俗に言うヲタク感)溢れる顔つき、背丈、服装をしている。

細すぎる。しっかり三食食べてんのか。そう突っ込みたくなる全世界女子共通の敵である。

今回は至って真面目に書いてくれたそう。しっかりと、気楽に読んでいただきたい。

(紹介文:NSCC6副実行委員長 栗林寿樹)

 

【本文】

 今日、全国には5000余校の高校があり、そのほとんどの学校に生徒会は存在します。しかし、その中で先生の力に依らずに存在し、活動しているものはどれほどあるのでしょうか。

私の外務の経験から言わせていただくと、その様な生徒会はほとんど存在しないと言わざるを得ません。言われた経験がある、もしくは言った経験がある方もいらっしゃるかもしれないですが、多くの高校では“先生の犬”であったり、“内申のためだろ”といったように揶揄される、ということを私はよく耳にします。この言葉からは、先生は絶対的上位にいて、その下に生徒がいる、という構造が無意識的に刷り込まれていることが伺えます。

確かに、今の日本の教育制度からしたら先生は教える側、評価をする側で、生徒は教えられる、評価を受ける側でしょう。しかし、高等学校は“高等”な学校であって義務教育の一環ではありません。ほとんどの人が高校に進学する今、あまり意識してはいないかもしれませんが、高校生は自ら勉強することを選択しているのです。

皆さんは選択した自分の道をただ言われるがままの3年間で終わらせるのでしょうか?

そんなもったいないことはありません。これは生徒会活動についても言えます。ほとんどの生徒会役員は生徒会活動がしたくて生徒会に入っているはずです。そんな自分の意志を“先生の犬”や、“内申のためだろ”といった言葉で終わらせていいはずがありません。

学問上は致し方ないかもしれませんがとりあえず生徒会活動だけでも、先生が上で生徒は下という構造を打破するべきではないでしょうか。

学校の中で現状の受け身の体制を打破し、どのようにして自分たちのフィールドを広げていくか、それが生徒会活動に携わる方々の将来に向けた活動となるでしょう。社会的組織の中で広がった今後の私たちのフィールドについて、言い換えれば生徒会が秘めた可能性について考えていきたいと思います。

 

 前述したとおり、生徒会役員の方々は先生との意見の折り合わせに苦労しているでしょう。

高校生の裁量の及ぶ範囲を増やし、生徒のやりたいことを実現するためには先生と対等な組織づくり、そして権限が増えるわけですから高校生の相応の覚悟が必要になってきます。何をいまさら生徒が企画を通すには?みたいなテーマについてやってるんだと思われるかもしれませんが、そのような議論をしているとき、大多数の高校生は自分たちのやりたいことの実現を目指すだけで、責任という言葉を忘れがちです。この責任を持つという覚悟無しには生徒の自由な裁量は認められないでしょう。

これは狭い範囲での自治の話です。しかし、世界中を見ていると、大きな権限を持った生徒会というものがあります。例えばドイツでは「学校会議」というシステムがあります。これは、校長、教員、生徒、保護者、外部の人で構成されています。この学校会議では、休憩時間に関する議題から、校長選出や学校運営に関する議題まで議論され、幅広い権限を有しています。日本では現在アクティブラーニングや主権者教育など様々なことが叫ばれていますが、このような実体験するということが最短の学習法ではないでしょうか?模倣する、とは言いませんが、日本の生徒会は最終的には海外のような形態になる可能性は秘めているであろうと考えます。

また、先ほど主権者教育という言葉を使いましたが、学校の中では主権者教育がいちばん行えるのが生徒会、詳しく言えば生徒会選挙なのです。公職選挙法が改正され、選挙権が18歳に引き下げられた今、生徒会選挙は重要度を増しています。学校という小さな社会の中で生徒会役員を選ぶ権利を行使する過程の中で、私たち高校性は権利を持つ主権者であることを認識します。

ゆくゆくは生徒同士で主権者であるという理解を身に着け、社会にでる準備をするのかもしれません。生徒会はその先駆者となるのです。積極的に社会と関わることでよい循環を創り出していく、これからの生徒会はそのようなことが求められ、かつ自ら強みとして発信していく必要があるのではないでしょうか?

 

私は以上のように、生徒会の可能性は学生でありながら社会に参画できることが一番大きいのではないかと考えています。

大人のように義務の範囲が広くなく、比較的楽な気持ちでいる間に社会に出てたくさんのことを学べる、こんないいことはありません。何気なしに高校に通っているのではなく、こんな夢を描きながら日々を生きるのもいいのではないでしょうか?